"‘70年生まれ。’87年3月、高校1年生の時に、当時の友人3人と”KRUSH GROOVE”を結成。渋谷西武SEED館の1周年イベント『HIP HOP HOT NIGHT』のコンテストで優勝。その後、審査員だった近田春夫に、President BPMのレコーディングに誘われた時に、同席した高木完の提案により、”KRUSH GROUP”と改名。’88年3月六本木インクスティックで、近田春夫&ビブラストーンの前座を務める。同年、7月には、いとうせいこうプレゼンツ『ターン・ユア・テーブル』@芝浦インクスティックに出演。ヤン富田、ダブマスターX、ビブラストーン、タイニー・パンクス、タイクーン・トッシュ&ターミネイター・トゥループス、ファンキー・キング、ECD&チエコ・ビューティー、スパンク4らと競演。この時、”KRUSH GROUP”のDJを務めたのが、KCDと後のILLICIT TSUBOIによる”GOLD CUT”。8月には、日本テレビ『11PM』に”KRUSH GROUP”で出演し、ライヴを披露。’89年には、GOLD CUT、ミーゴ・アミーゴと”A.K.I.PRODUCTIONS”を結成。”KRUSH GROUP”は、休止状態に。小泉今日子のクラブイベント『CLUB KOIZUMI』を始め、六本木インクスティック、代々木チョコレイトシティーなどで、数々のライブ活動を行って行くことになる。’90年には、初の音源となる『TOKYOディスクジョッキーズオンリー』というオムニバスに参加。また、この頃、『03(ゼロサン)』(新潮社)に寄稿したことがキッカケで、文章の仕事も始め、『宝島』誌で連載を持つ他、インタビュー仕事なども行うことになる。また、スチャダラーのPVに「クイズ王」というキャラクターで出演し、その後、’92年、高城剛監督のテレビドラマ、フジテレビ『アルファベット2/3』に準レギュラーとして出演するなど、ラップ以外の活動も増える。’91年には、”A.K.I.PRODUCTIONS”は、ILLICIT TSUBOIとの2人組になり、ナツメグ・レコードから、デビュー12インチ・シングル『SEX! OR DIE!(性か!?死か!?)』、リミックス盤『CROSS COLOURS(7DJ’S REMIX)』をリリース。また、大人計画公演『サエキナイト』にラップで参加。’93年、ファイル・レコードよりデビュー・アルバム『ジャパニーズ・サイコ』をリリース。が、同アルバムのリリース記念ライヴで、以前から患っていた騒音性難聴が深刻になり、音楽活動をストップすることに。また、同年暮れから、いとうせいこうの誘いで、FM東京で『FAX YOU!』という深夜番組の構成作家を務め、以後『CLUB coba』(J-WAVE)の構成などもすることに。翌、’94年からは、『ブルータス』『リラックス』(マガジンハウス)、『アサヤン』(ぶんか社)、『Bar-f-out!』等で、連載が始まる等、ライター業が活性化してくる。’96年には、”A.K.I.PRODUCTIONS”のメジャー盤、第1弾のデモを作っている過程で、ILLICIT TSUBOIがグループを脱退。”A.K.I.”1人のユニットとなり、アルバム制作は頓挫。その後、アパッチ田中のスタジオに通い、ソロ音源を作り出す。ソロ・ユニットになった”A.K.I.PRODUCTIONS”の最初のライヴが、大阪クラブクアトロで行われた、かせきさいだぁを中心とするナチュラル・ファンデーションのイベントで、そのアンコールの時に、かせきのバンドのベーシストとして動向していたカジヒデキと並んで踊っている姿が、”兄弟のように似ている”ということになり、何故か、カジヒデキの初のソロE.P.『MUSCUT e.p,』にラップで客演。ライヴなどにも客演するようになる。その後、’99年頃まで、『ポパイ』(マガジンハウス)などの雑誌連載、インタビュアーとして活躍。が、’00年5月頃、突然交通事故に遭い、’01年初頭まで入院生活を送る。退院後、『spectator』誌で、連載が始まる。’02年より、”A.K.I.PRODUCTIONS”の活動も徐々に再開。時折、ライヴなどを行うようになる。’03年9月に、西麻布スーパーデラックスで行われたパードン木村のイベントで1時間、全て1人で演奏したコンセプチュアルなライヴが好評を博す。この時の共演者は、ZAK、大野由美子、生意気など。以後、スーパーデラックスで、DJをすることが増える。また、’04年暮れ、この時のライヴを録音したものを山口小夜子に渡したことがキッカケで、’05年デュオを組んで、ライヴを行うことに。『RAW LIFE』などに出演して好評を得る。この頃、”山口小夜子&A.K.I.PRODUCTIONS”のCDを、ヤン富田プロデュースでリリースする話が富田本人より舞い込むが、当人達の力不足を理由に、その依頼をペンディングしてしまう、というエピソードも。また、同年、スマーフ男組のMAGIC ALEXともデュオを組み、パードン木村、K-BOMBらとステージに立ち、トリを務める。’06年には、”A.K.I.”のCD-Rのレーベル、”倫理B-BOY RECORDS”を立ち上げる。『MELON LOUNGE』というイベントで、メロン記念日との競演も実現する。’07年、スマーフ男組とライヴで共演し、2曲ほどコラボレーションする。同年、山口小夜子が逝去。音源を残せぬまま、”山口小夜子&A.K.I.PRODUCTIONS”の活動に終止符。’08年、”A.K.I.PRODUCTIONS”の15年ぶりのアルバム制作に着手し、『DO MY BEST』完成。リリースは、’09年になるので、16年ぶりの新作となる。"

@3 years ago